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From Rural Medicine care(future)to Silicon Valley(present) | Fumiaki Ikeno | TEDxHamamatsu

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Japanese
1
翻訳: Hiroyuki Sugiura 校正: Tetsuya Kawaguchi
2
僕がですね 小学校5年生のころ
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父親が 働き過ぎで 脳出血になりまして
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半身不随で 寝たきりになりました
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その時にですね
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大きくなったら お医者さんになろう って思いまして
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一生懸命勉強しました
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そして 自治医科大学という大学に 入学することができました
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その大学は
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学費を一銭も払わなくていいんですね
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生活費もいただける
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しかし卒業してから 地元に戻り 私の場合は 静岡県ですけれども
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地域医療
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そして僻地医療
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皆さん 僻地ってわかりますか?
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山の中
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お医者さんが あまりいないところですよね
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そこで 9年間 働かなければいけません
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なぜ自治医大を選んだかというと
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親に迷惑をかけたくなかった
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そんな単純な理由からです
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そして医学部を卒業し
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私は浜松市北部にあります
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山の中の小さな町 佐久間町と言うところの
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小さな病院 佐久間病院に 赴任させていただきました
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学費と引き換えの義務とはいえですね
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30歳そこそこの 最も成長しなければいけない
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もっとも最先端の医学を 学ばなければいけない医者として
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そんな30歳の時に
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山の中の小さな病院に行くっていうのは
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正直なところ 本意ではありませんでした
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そして赴任当初
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4年間が ものすごく長く感じました
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40%
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ちょっとこの数字を考えてください
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これは何の数字か分かりますか? 40%
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実は私が赴任した佐久間町 当時 今から20年前ですけれども
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高齢化率が40%でした
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高齢化率とは 全人口に占める 65歳以上の割合を言います
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高齢化率40%の佐久間町
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お年寄りがいっぱいいます
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だって人口の半分弱が 65歳以上のお年寄りなんですから
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しかし この40% 非常に重要です
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実は 2050年の
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日本全国 平均の高齢化率が 40%になります
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現在は27%です
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27%でも日本は 世界ダントツ高齢化率が高い国です
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そして約30年後 40%になります
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2050年 40%
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当時『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 という
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映画が流行っておりましたけれども
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私はその時 思いました
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あっ ひょっとしたら自分は タイムマシンに乗って
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2050年の日本に来て 未来に来て 医療をしてるんじゃないかと
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そう考えるとですね 非常にやりがいを持って
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医療をすることが できました
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そして
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当初4年間は長いなと 思っていたんですけれども
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「住めば都」 昔の人は良く言ったものですね
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住んでいるうちにですね
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だんだん 居心地が 良くなってきたんですね
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なぜですか? その理由ですけど
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この笑顔 見てください
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すごい美しいでしょ
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これは住民の皆さんです 佐久間町の
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住民の方々にですね 本当によくしてもらいました
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僕は「家庭医」 「ファミリードクター」と言いまして
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家族全員を診る家庭医でしたので
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まさに家族ぐるみで
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住民の方々と お付き合いさせていただきました
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そして これは家庭医の 宿命でもありますけれども
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非常に沢山の方々の
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死を 看取らせていただきました
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おそらく 4年間で100人を 優に超えていたと思います
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当時30歳の私
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もちろん医者としての 仕事なんですけれども
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毎日 毎日
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お年寄りを看取るということは
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非常に悲しいものがありました
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しかしそんな中
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もうすでにあの世に行って ― 天国に行ってしまった
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患者様たちが 様々なことを 私に教えていただきました
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その中の2つを取り上げます
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「人生は一度しかない」
85
そして 「人生は長いようで短い」
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この2つの言葉は その後の私の人生に
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非常に大きな意味を成すのでした
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そして 4年間の義務が終わりに近づいたころ
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もう正直な話 私はこの町で
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一生住んでもいいという風に 気持ちが変わっておりました
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しかし ちょうどその頃
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80歳を超える とあるおじいさんを 看取ることになりました
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そして そのおじいさんが亡くなる前に 私に こんなことを言いました
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「先生」
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「先生は まだ若い」
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「我々のこんな田舎の町の中で
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一生懸命 医者として働いてくれて ありがとう
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でも 先生何かやりたいことが あるんじゃないか?」
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80歳を超える人生を振り返ってみて
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何かやりたいことがあって
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チャレンジしなかった時は
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ものすごい後悔するみたいです
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まだ僕は80歳になったことがないから わからないですけども
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そのおじいさんが言ったのは
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「何かやりたいことがあって チャレンジして
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ダメだった 失敗したことは 意外と後悔しない」
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「もし先生が 何かやりたいことがあるんだったら
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やってみたらどうかね」
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この言葉はですね 私の体に 電撃的な刺激を与えました
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何か体の中で 眠っていたものが 起こされた気がします
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熱いマグマのようなものが メラメラと体内から
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上がってくるような感じがしました
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実は私 一生で一度でいいので 海外に住んでみたい
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世界の舞台で戦ってみたい そんな気持ちがありました
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しかし 残念ながらコネも無い
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実力もない
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ましてや金もない
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正直言って 無茶な夢だと思って諦めておりました
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そんな時に
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私が患者さんを送っていた 都市部の心臓の専門病院に
121
見学に行くチャンスを与えられました
122
そして そこの院長先生から こんな質問を受けました
123
「君は僻地医療が終わったら 何をするのかね?」
124
僕は非常にかしこまって 教科書どおりの返事をしました
125
「はい 静岡県の地域医療に 一生を尽くします」
126
そうすると そこの院長先生が ものすごくおっかない顔で
127
「本当にやりたいことがあるんだったら 言ってみろ」と
128
その時に 初めて僕は本音を言いました
129
「一生一度でいいので 海外に留学してみたい
130
でも 僕にとってはそれは 夢
131
絶対かなわない夢だから 無理だと思います」
132
すると その院長先生が
133
ニヤッと笑って
134
「留学したいんだったら 紹介してやってもいいぞ」
135
そういう風に言われたんですね
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非常に 非常に不思議なくらい
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とんとん拍子に留学が決まりました
138
実は私 神様とか全く信じない 人間なんですけれど
139
その時だけは
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ひょっとしたら
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私が看取った
142
あのアドバイスをくださった おじいさんが天国から
143
私をひょっとしたら 導いてくれたんじゃないかな
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それぐらい不思議な感覚がしました
145
そして留学先は
146
アメリカ合衆国 カリフォルニア州
147
シリコンバレーのスタンフォード大学です
148
ただし
149
残念ながら そんなに甘い話ではありません
150
3年間 私は給料なしの 無給で働かなきゃいけない
151
そういう条件で 3年間の留学が許されていました
152
シリコンバレーは 世界で最も物価の高い地域です
153
4人の子どもと
154
1人の妻
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妻が2人いたら困りますけれども (笑)
156
その家族がですね 世界で最も物価の高いシリコンバレー
157
そして私は貯金を食いつぶして
158
そこに行く覚悟だったんですけれども
159
どうあがいても
160
1年サバイバルするのが やっとでした
161
その時に私を
162
スタンフォードに紹介してくれた その院長先生が
163
私たちを哀れに思ったのか
164
生活費を工面してくださると 言ってくださいました
165
しかし
166
その見返りとして
167
2つの義務を果たせと 悪人顔で迫ってきました
168
1つ目の義務
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「世界中に友達を作りなさい」
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大体人間 2つ何か条件出してくると
171
1つ目は良いことを言うんですよね (笑)
172
それで 安心させるんですよ
173
きっと2つ目が 凄いどぎついことを言ってですね
174
一生俺の病院で 安月給で働けとかですね
175
まあそんな感じ それでも私はアメリカに行きたかったです
176
スタンフォードに行きたかった
177
いやもう全然OKですと
178
じゃあ2つ目は何ですかと ーちなみにー みたいな話をして
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ビクビクしながら 一応聞いたんですけど
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2つ目
181
「スタンフォードに行って 日本の未来を一生懸命考えてくれ
182
以上」
183
たったそれだけでしたね
184
そして 2001年4月
185
家族で
186
アメリカはカリフォルニア州
187
シリコンバレーにあります スタンフォード大学に留学しました
188
しかし
189
人生 そんなに甘くありません
190
私が 所属したラボはですね
191
シリコンバレーのベンチャーと一緒に 新しい医療機器を開発する
192
そのような研究室だったわけですね
193
しかし 当然のことながら
194
研究もしたことがない
195
英語もロクに喋れない
196
そして 静岡県の山の中の小さな病院から
197
世界最高峰のスタンフォード大学に 行ったわけですから
198
当然のことながら
199
全く相手にされませんでした
200
しかし
201
生活費と引き換えの1つ目のミッション
202
「世界中に友達を作る」
203
これだけは 一生懸命しました
204
ただ単に 世界中に友達を作るために
205
困っている人がいたら いろいろ助けました
206
人が嫌がる仕事も ニコニコ喜んでしました
207
そして 大学学内だけではなくて
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大学の外にも友達を 沢山作る努力をしました
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3年間やりました
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そして 3年の留学が終わりに近づいた頃
211
スタンフォード大学から 信じられないオファーをいただきました
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ポストを用意する
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給料も払う
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頼むからスタンフォードに残ってくれ
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実はですね いろんな人を助けている時にですね
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いろんなプロジェクトに参加してたんですね
217
いろんなベンチャーの お手伝いをしていた時に
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いろんな会社のベンチャーとですね 一緒に仕事をすることになりました
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そうこうしているうちに 学内 そしてシリコンバレーに
220
良い噂が流れてたんですね
221
「あいつと一緒に仕事すると成功するぞ」と
222
気が付いたらですね 業績がものすごくあったんですね
223
僕は あまり業績とか 全然考えない人間だったんですけれども
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17年経った今でも
225
未だにスタンフォードで サバイバルできています
226
しかし これは 自分の実力なんかではありません
227
あくまでも 他人が 私を助けてくれたからです
228
このとき思いました
229
やっぱり人は人によって 支えられてるんだな
230
そういう風に思いました
231
そして 2つ目のミッション
232
2つ目のミッションは 「日本の未来を考えてくれ」
233
この命題は 私には非常に重すぎて
234
考えられる余地がありませんでした
235
しかし
236
それを考えざるを得ない事件が起こりました
237
2011年3月11日東北大震災 日本の大事件です
238
このとき私は 2つ目のミッション
239
これを遂行する時期が来たと思いました
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医療ボランティアとして
241
福島に
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医療ボランティア 医師として参加する
243
それに申し込みました
244
今までいろんな人に助けられた
245
今度は 私が
246
日本の皆さまを助ける時が来たと
247
しかし 福島に行く前日
248
オバマ大統領が
249
福島原発から半径80キロ圏外に
250
アメリカ関係者は退避するように という命令が下りました
251
もちろんスタンフォード大学にも そのような命令が来ています
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私は日本人ですが
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アメリカの大学の職員です
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残念ながら 福島に行くことは できませんでした
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日本のために何かできる
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できると思ったのにできない
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正直自分は自己嫌悪と 自信喪失に陥りました
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自分は本当に 社会に必要とされている人間なのかと
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日本がピンチの時に何もできない
260
正直 恥ずかしい話ですけれども
261
昼間からお酒を飲んで紛らしたりとか
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半分 鬱病直前ぐらいまで 追い込められていました
263
しかしその時に
264
佐久間のお年寄りの言葉が
265
私の所によみがえってきました
266
「人生は一度しかない」
267
「人生は長いようで短い」
268
「挑戦して失敗したことを後悔しない」
269
なんだか天国からですね
270
佐久間の看取った患者さんたちが
271
私に何かを問いかけてきたんだと思います
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そして私は立ち上がりました
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震災直後 安倍政権が
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日本経済復興のために
275
「3本の矢」政策を遂行しました
276
その3本目の矢
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それが
278
医療産業によって
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経済発展を再興すると
280
特に日本はモノづくりが得意です
281
そのモノづくりを生かして
282
医療機器を 日本で開発し
283
そして それによって産業を発展させていく
284
そのような国家戦略が練られました
285
僕はもうこの瞬間 これしかないと思いました
286
自分ができること
287
自分がしなければならないこと
288
自分にしかできないこと
289
これによって 日本に貢献しようと思いました
290
キーワードは
291
「医療」
292
そして 「医療機器」「高齢化社会」です
293
この3つのキーワードを元に
294
日本とアメリカ
295
太平洋を挟んだ架け橋を作る
296
つまり簡単に言うと
297
日本とアメリカが協力して 医療イノベーションを起こす
298
これが 私がしなければならないことだ
299
そのように思いました
300
そして実行に移します
301
2013年
302
私は 60億の
303
資産を運用する
304
ベンチャーキャピタルを設立しました
305
ベンチャーキャピタルを設立して
306
いろんなベンチャーを 日本から作っていこう
307
そのように思ってます 今もやってます
308
2つ目
309
日本に起業家育成講座を設立する
310
特に医療に限った 起業家育成講座
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これは国家プロジェクトの ひとつですけれども
312
2015年から初めております
313
そして アメリカと日本の
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医療のプロフェッショナルをつなぐNPO
315
こちらも設立してます
316
そして先月
317
高齢化社会に対して
318
シリコンバレーの技術と
319
日本のニーズ
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この2つを組み合わせ
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現在の日本の高齢化社会の課題を
322
みんなで考えて 解決していく
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シンクタンクを設立しました
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日本は 現在 高齢化率 ダントツ世界トップです
325
お年寄りが 沢山いる国です
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しかし そのお年寄りの沢山いる国 日本で
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その高齢化社会に対する 解決するアイディアを出せば
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それが将来 日本だけではなくて 世界の高齢化社会に
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貢献することができるように なるかもしれません
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佐久間町で
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2050年の医療を経験しました
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それを今 世界の病める患者さんに適応しております
333
17年前までは日本で 臨床医として
334
目の前の病める患者さんを 救っておりました
335
そして
336
現在
337
私は 日米の架け橋を作って
338
病める患者さんを救おうとしています
339
いずれにしても小学校の時の
340
志高く患者さんを救いたいという 気持ちは全く変わっておりません
341
昨年1年間で 私は33回
342
日米を往復しました
343
人は人によって
344
人生の新たな選択肢をいただく ということを学びました
345
皆さまに私が
346
佐久間の皆さまから いただいた言葉を
347
捧げたいと思います
348
「人生は一度しかない」
349
「人生は長いようで短い」
350
「挑戦して失敗したことは後悔しない」
351
そして 院長先生からいただいた 2つのミッション
352
「世界中に友達を作りなさい」
353
「日本の未来を考えてくれ」
354
そして それよりも もっともっと大事なことがあります
355
それは
356
「行動に移す!」ことです
357
自分の夢 日本の夢
358
世界の夢のために
359
「行動に移す!」
360
しかし なかなか皆さん 世界は突然変えられないと思います
361
しかし
362
皆さま自身は変えられると思います
363
今日ここに集まった300人の方々
364
一人一人が 自分を変えて行動に移してみてください
365
日本が変わるかもしれない
366
そしてそれが 世界を良い方向に
367
導くのかもしれません
368
皆さん どんな些細なことでも
369
どんな小さなことでも構いません
370
自分のために行動してみてください
371
そして それが世界を変えると 私は信じております
372
(拍手)
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